アメリカ横断、オートバイ

最終更新日: 作者:月寅次郎

アメリカ横断 オートバイ

オートバイでアメリカを横断、往復した記録

わたしのオートバイアメリカ横断データ


期間:1989年1月4日~1989年3月22日

こちらに何枚か、当時の画像を置いてあります(日本一周時の画像も有り)

バイク:カワサキKLR250R(オフローダーだったため、未舗装路に入って寝る場所を見つけるのが楽でした)
ロスの日本人街のバイク屋で中古バイクを購入
「アメリカ横断するから、ロスに戻ってきたら、また買い戻してくれ」と説明して購入、アメリカの陸運局に持っていって登録しました

「アメリカ横断するけど大丈夫か?ロスは温暖だから、クーラント薄いんじゃないか?」と尋ねたが、「大丈夫」とのこと
信用してグランドキャニオンの周辺まで行ったら、緯度は同じでも内陸性気候で気温がぐっと下がった
モニュメントバレー近辺でマイナス7度まで下がり、結局クーラントが凍ってしまった(幸いラジエーター破損には至らず、昼になったら溶けて、事なきを得ました

宿泊:基本的に野宿、山中に入り込んで、空いた場所にテントを張って寝て、痕跡を残さずに去っていました
都会は危険なので、基本的に人の住んでいない地帯で野宿するよう、その日のコース取りを考えていました
悪天候の時や、どうしても都会に泊まる必要があるときにはホテルやモーテルを使用しました
都会や街に泊まったのは、ツーソン、ニューオーリンズ、キーウエスト、メンフィス、レイク・タホ…ぐらいでしょうか?
たとえホテル泊まりでも、街中にいると、ホールドアップ(強盗)さまざまな危険がありますので、人が住んでいない場所に行って野宿するのが、最も安心して寝られました(そういう意味では、人間が最も危険です)

アメリカ横断 コース概要


往路
ロサンゼルスサンタモニカビーチをスタート→デスバレー→グランドキャニオン→
モニュメントバレー→あまりに寒くて真南に南下、ツーソンへ→
テキサスを抜け、アメリカ南部地帯へ→ルイジアナ州ニューオーリンズでタイヤを交換、ちょうどマルディグラ祭りだった→
フロリダ州を抜けてキーウエストへ(アメリカ最南端)

復路
フロリダ州からサウスカロライナあたりを抜け、ブルースの聖地メンフィスへ、オクラホマの平原地帯を抜ける→
ニューメキシコ州のサンタフェで雪に降られる→フォーコーナーズ、シップロックあたりを抜けて、ユタ州南部をかすめ、ネバダ州へ→レイクタホ→ヨセミテ→西海岸に出て、ビッグ・サーを抜ける→ ロサンゼルスに戻り、旅の終わり→


当時は、ロイ・オービソン没後一ヶ月くらいであったため、南部のモーテルに泊まってテレビを付けると、ロイ・オービソンの歌う姿ばかりが写っていた
ロスに戻ると、ボビー・ブラウンが流行っていて、ラジオから何度も流れていた

アメリカで見た映画は、ツインズ(シュワルツネッガーとダニー・デヴィート)、ミスティック・ピザ(ジュリア・ロバーツ)、レインマン(ダスティン・ホフマンとトム・クルーズ)などで、英語だったため、わからないところも多かったが、それでもとても印象に残っている
特に、レインマンはアメリカ南部からロスに向かうロードムービーであるため、自分がインターステート・ハイウェイを走りながら目にした風景と実によく似ている


出発準備のため、アウトドア装備を軍放出品を販売しているショップに行ったところ、入店直後に「バーイナウ」と言われてしまいました
英語の意味はわかるのですが、なぜそのように言われるのかが判らず、普通に品定めをして必要な物を買って帰りましたが、あれは「帰れ」という意味で、イエロー人種の差別なのだなと、店を出て気づきました

また、南部を走っていると、後部ガラスのことろにライフルを乗せたピックアップトラックが、追い抜いていき、前に出ると同時に、見せつけるように「中指サイン」を出されたこともありました
日本にいると、人種差別を受けることは少ないですが、改めてそういう経験をすると、こちらが慣れていないせいもあり、一瞬だけ、意味の理解に時間がかかります

そういう経験をすると、やっぱりオレは、自然の中に包まれているのがいいなぁと、そう思ったりするのです