カリオストロの城のモデルは、スイスのシヨン城(仮説)

最終更新日: 作者:月寅次郎

シヨン城

ルパン三世カリオストロの城のモデルはどこか?

映画「ルパン三世 カリオストロの城」に登場する城のモデルは、どこなのでしょうか?

ネットの情報では、イタリアのサン・レーオ砦だと語られています。ですが、城の外観や立地から鑑みるに、とてもそうとは思えません(完全なガセ情報です)
よく考えればおかしいのは自明なのですが、指摘する人がいません

リヒテンシュタイン城や、モン・サン=ミシェルを挙げているページもありますが、これも短絡的です。これらの説については、3ページ目で検証してみました

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わたしが思うに、監督の宮崎駿氏が着想を得た城があるとすれば、それは、スイス・モントルー郊外にある、シヨン城が最も有力ではないかと思うのです

シヨン城は、(湖畔ではなく)湖上に露出した岩盤の上に建っており、城の下層に幽閉場所があるなど、カリオストロ城と共通する要素が多々見受けられます
外観の雰囲気も似通ったものがあり、実際に訪問して散策すると、「この部分は、実際に映画に取り入れられているよね!」と言いたくなるような箇所がいくつか見つかります
さらに湖の対岸には、古代ローマの遺構すらあるのです

少なくとも、「ルパン三世 カリオストロの城」の聖地巡礼をするのであれば、雰囲気を味わうにはもってこいの、外せない場所の一つです

このページでは、わたしが実際にシヨン城を訪れた体験をもとに、「カリオストロの城のモデルは、レマン湖のシヨン城ではないか?」という仮説を展開してみたいと思います
一応「仮説」としてはいますが、まず間違いないです(他にこれ以上、近似する要素を持った城は存在しません)

※ 念のため検索してみましたが、シヨン城がカリオストロの城のモデルだという説を主張しているのは、当ページ以外には見当たりませんでした 2020年12月の調査です。「訪れてみたら、雰囲気がなんか似てた」程度のページならありましたが…

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「カリオストロの城のモデルは、スイスのシヨン城」 目次
  1. シヨン城は、スイスで最も有名な城

  2. 実在する伝説の地下牢

  3. カリストロの「お宝」、湖畔の古代ローマ遺跡は実在する

  4. ロケーションがカリオストロ城に近似

  5. 大きな文字盤の時計塔

  6. 「カリオストロの城のモデルはシヨン城」のまとめ

シヨン城は、スイスで最も有名な城

シヨン城は、「スイスで最も有名な城」と言える名城です
レマン湖の東の端に位置し、スイスのモントルーからほど近い場所にあります

このエリアは、山と湖に挟まれた隘路であることから、地形的に重要な戦略地となっていました
グラン・サン・ベルナール峠を経由してローマへと至るためには、必然的にこの隘路を通らざるを得ず、巡礼街道「The Via Francigena」の要衝の一つでした
(日本で言うと、箱根の関所のような場所にあたります)

シヨン城を主に管理していたのはサヴォイア伯国であり、城としての様式も「サヴォイア式(Savoyard style castle)と呼ばれています

13世紀には、サヴォイア家のピエトロ2世の夏季邸宅として使用されましたが、同時に関所としても使用されており、街道を通行する巡礼人や行商人などから通行料を徴収していました
シヨン城の厳密な建築年は不明ですが、1150年にはすでに存在していたことが判っています

Castle of Chillon N.jpg
上の画像は、シヨン城の英語版ウィキペディアのページからの引用ですが、白い雪山を背景にした美しいシヨン城の風景です

カリオストロの城でも背景に雪山が多用されており、高山地帯であることが感じられましたが、シヨン城もまさにそのような場所にあります

画像の右下には、小さな青いボートが浮かんでいますね
映画のようなエンジン付きの水雷艇ではありませんが、どことなく近い雰囲気を感じませんか?

背景に写っている山は「Dents du Midi」(3257m)と呼ばれ、山名を英語に直すと"teeth of moon" (月の歯)となります

Chateau de Chillon - Montreux.jpg
こちらは上空から城を見た画像です。 同じく、シヨン城英語版ウィキペディアより引用
シヨン城が、湖上に突き出すようにして建っているということが、よく分かる一枚です

実在する伝説の地下牢

シヨン城の地下牢

ルパン三世 PART1
絵コンテ集
TV 1st series
秘蔵資料コレクション

城の最下層は、数百年に渡って実際に監獄として使用された歴史があり、幽閉者のうち最も有名なのは、フランソワーズ・ボニヴァルというプロテスタント聖職者です

カトリックを信奉したサヴォイア家と敵対関係にあったボニヴァルは、1530年にMoudonという町に滞在中、サヴォイア公の手の者による襲撃を受け、捕らわれてシヨン城の地下に投獄されてしまいます

ボニヴァルは鎖に繋がれた状態で(鎖の長さが届く範囲で)歩き回ったため、地面に轍ができてしまい、その跡は今でも残っています(繋がれた柱の周辺が、えぐり取られるように生々しく凹んでいます)

ボニヴァルが解放されたのは、ヴォー州地域をベルン兵が制圧し、シヨン城からサヴォイア家を追い出した1536年の事でした
彼は、6年もの長きに渡ってこの牢獄に繋がれていたことになります

英語版ウィキペディアの「シヨンの囚人」のページでは、シヨン城の地下牢に繋がれた囚人の絵画(下の画像)が掲載されていますが、まさにカリオストロ城の地下牢を彷彿とさせる雰囲気を感じさせます
Le Prisonnier de Chillon, illustration d'un poeme de Lord Byron (Eugene Delacroix).jpg
絵画「シヨンの囚人」、Eugene Delacroix による油絵(1834年)

どうですか?この絵画の雰囲気
薄暗い地下牢に、鎖で柱に繋がれた囚人…、まさにカリオストロの城の地下空間そのものです 異なるのは、下に水が溜まっていないことくらいです

シヨン城がサヴォイア家の手から離れた際、ボニヴァル以外のすべての囚人も解放されたと言いますが、当時一体何人が幽閉されていたかまでは判りません

1536年以降、シヨン城は執行官(廷吏)の邸宅として使用され、その後1733年には州の牢獄として使用されることとなり、地下監獄が復活することになります

映画では、「殺しも殺したり、400年分か」というセリフが印象的でしたが、シヨン城の地下でも長きの年月に渡り、地下監獄の歴史があったのです

シヨン城の地下牢

映画では、壁面に刻まれた「1904 3 14 日本國軍偵 河上源之助 ここに果つ… 仇」の文字をルパンが発見し、銭形警部に見せるシーンがあります

あのシーンは少し唐突な感もありますが、あの壁文字のおかげで、ルパンも銭形警部も(そして視聴者も) 「この地下牢は、何百年にも渡って敵対者を幽閉するために使用されており、手練れの者でも脱出不可能」…ということを、短時間で伝えるのに一役買っています

そしてこの、シヨン城の地下牢にも、同じく壁に刻み込まれた数百年前の文字が、多数残っているのです

シヨンの囚人(1816年)を著したベイロンのサインが有名で、保護するために枠でおおわれています(下の画像)
Chillon mg 4915-b.jpg
地下牢に多数刻まれた文字の中にある、ベイロンのサイン シヨン城英語版ウィキペディアより引用

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わたしが訪問した時は、この壁文字の周囲に人だかりができており、残念ながら撮影することができませんでした シヨン城ツアーの観光団体と同タイミングで入城してしまったためです。そのため、ここではWikiの画像を引用しています

映画においてカリオストロ城の地下牢は、「生けるものが赴く場所ではありません」とジョドーに言わしめたほどの迷宮ですが、その雰囲気を味わうのにふさわしい場所があるとしたら、地球上にこれ以上の場所はないでしょう

現状では、観光客が気軽に足を踏み入れられるよう、きれいに清掃されて灯りもともされています
汚臭や悪臭の残滓も感じられず、あるのはガランとした雰囲気と、局所的に摩滅した「いわくありげな床面」ですが、実際に訪れる際は、当時の雰囲気を想像しながら入ってみると良いと思います

このように、映画の地下牢がこの場所から着想を得ているのは、状況的に見て疑いようがありません
あまりにも類似点が多いのです
ルパン三世の聖地巡礼に相応しい場所の一つと言えるでしょう

カリストロの「お宝」、湖畔の古代ローマ遺跡は実在する

ルパン三世
カリオストロの城
スタジオジブリ
絵コンテ全集第II期

ルパン三世カリオストロの城では、ラストシーンで「上の湖」に隠されていた古代ローマ遺跡が現れます

世界史に詳しくないわたしは、当初「スイスの湖にローマの遺構というのは、さすがに虚構だろうな」と考えたものでしたが、史実を色々と調べてみると、決して荒唐無稽な話ではないことが判りました

前述のシヨン城は、レマン湖の東端に位置しますが、おおよそ対岸の位置にあるニヨン(Nyon)という街は、ローマ遺跡で有名です
このニヨンは、紀元前45年頃に古代ローマの植民市として発展した歴史があるのです
当時ニヨンとは呼ばれておらず、「Colonia Iulia Equestris」(ユリア エクエストリス植民市)という名称でした

ローマ水道や神殿、円形劇場や公衆浴場、市場跡など、様々な遺跡が出土しており、レマン湖を望む公園には、映画に描かれたようなローマ柱も展示されています(下の画像)

Roman column - Nyon, Vaud, Switzerland.jpg
上の画像は、英語版Wiki ローマ時代のスイス地域(ローマ文明の衰退)より引用

映画では「古代ローマ人がこの地を追われ…」というセリフがありますが、(史実では)地中海全域を支配下に置くほどに発展したローマ帝国も、4世紀に入ると統治能力が低下し、5世紀にはゲルマン人勢力に追われるようにしてスイス領域から撤退しています

結果として、ニヨンには多数の古代ローマ遺跡が残されました。地面を掘れば遺物が出てくるというのが、このニヨンという街なのです
実際、現地には「ニヨン・ローマ博物館」があるほどです
ニヨンは、スイス国内における最大級のローマ植民都市であったとされています。ニヨンだけではなく、レマン湖周辺の都市からは大なり小なりローマ遺跡が出土されることが多く、シヨン城からほど近いモントルーや、ローザンヌからもローマの遺物は発見されていいます

ちなみに、ルパン三世カリオストロの城の公開は1979年の12月15日ですが、「ニヨン・ローマ博物館」の開館は、くしくも同じ年の1979年9月14日と、時期を同じくしています

博物館の開館時期と映画の製作時期が重なるため、製作スタッフが現地の博物館を訪れることは無かったと思いますが、宮崎監督がこのニヨンと古代ローマの関連性を知らずして、偶然あのエンディングを思いついたとは、到底思えません

恐らくはニヨンの歴史を知りつつ、意図的に映画のストーリーに編み込むことで、空想活劇であるアニメに現実性を吹き込んだと考えるべきでしょう

カリオストロの城のモデルが、シヨン城であるならば、ラストシーンに登場した古代ローマ遺跡の着想地は、スイス・ヴォー州のニヨンに他なりません

もしも、ルパン三世の聖地探訪でシヨン城を訪れるのであれば、対岸に位置するニヨンにも足を延ばすべきでしょう
シヨン城~ニヨン間は、車で約1時間、電車では1時間半前後で到達する近距離にあります

ニヨンは「歴史ある古い街」ですので、細い道幅の旧市街も残っており、徒歩で散策すれば、カリオストロ公国の城下町の雰囲気も味わえることでしょう

シヨン城とカリオストロ城、周囲の環境がほぼ同じ

シヨン城
シヨン城は、レマン湖の湖上に露出した岩盤の上に建っているため、入城するためには、長さ10mほどの屋根付きの橋を渡らねばなりません
元々は、吊り上げ型の「はね橋」だったため、橋を上げれば陸地と切り離され、湖上の要塞と化したそうです

現存する城のうち、湖上に建築されている城は、そうそうありません
カリオストロの城のモデルとして有力候補に挙げるには、この「湖上の城」という要素だけでも、筆頭に挙げるのに充分でしょう

シヨン城
陸側から見たシヨン城(北面)

湖方向を向いている面とは異なり、こちらの北面は街道に面しているため、防御的にも堅牢な造りになっていることが判ります
塞がれているものもありますが、矢狭間(銃撃孔)や、出し狭間(石落とし用に張り出した構造物)が多いのもこちらの面です

シヨン城

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絵コンテ全集第2期

シヨン城の屋根は、明るめのレンガ色で、壁面はベージュっぽい色となっています(画像は逆光のため、やや暗めの色調に写っています)

映画カリオストロの城では、城の屋根を青色で描いていますが、イメージカットの時点では、屋根をレンガ色の色調で描いている宣材画像もあり、企画段階では、よりシヨン城に近い雰囲気の色調で描かれていたことが判ります

具体的には下のイラストがそれです。おおよそこのような色調で描かれていました
(当ページ著者による模写です、城の屋根と壁面のみ彩色))
ルパン三世 カリオストロの城

シヨン城直下の湖畔
上の画像は、シヨン城の尖塔から直下の湖面を見下ろしたところです

城と陸との間の、堀状になっている水路に水を引き込むための、防波堤が見えます
それほど大きなものではなく、細めの水路ではありますが、映画に登場した水雷艇が出ていきそうな雰囲気を持っています

大きな文字盤の時計塔

シヨン城
シヨン城には、時計塔も存在します

大塚康生画集
「ルパン三世」
と車と
機関車と

吊り橋のある入り口から見て、左手方向にそびえる塔には、巨大な"Facade Clock"(建物の外壁に文字盤を造りつけた大型時計)が据えられています
上の画像の建築用足場の組まれている塔が「時計塔」で、塔中央のレンガ色に四角く塗られている部分が時計の文字盤にあたります
足場の大きさと比べると、時計の文字盤がいかに巨大さがうかがい知れます

カリオストロの城に出てくる時計塔とは少々趣が異なりますが、由緒正しき年代物の時計であり歴史的にも大変貴重なものとされています
わたしが訪問した際には、時計塔全体が修復保全中であったため、残念ながらこのような画像しか撮ることができず、全容を良く観察することもできませんでした

上の画像では建築用の覆いのために、文字盤の意匠を見ることができませんが、実際には太陽の顔が大きく描かれています
二つの針の先端には、それぞれ三日月と、Main de justice(正義の手)があしらわれており、文字盤の2時と10時の位置の奥には、4本足の動物と思われる意匠が描かれています(下のリンク先の画像で確認することができます)

時告ぐる高き山羊」ではありませんが、文字盤の2時の位置に動物が描かれているというのは、(単なる偶然かもしれませんが)それだけでなにかしら感慨深いものがあります

文字盤の画像については、こちらのシヨン城公式サイトの「FACADE CLOCK」の項目で閲覧可能です

なお、この時計が塔に据え付けられたのは1543年であり、鐘が加えられたのは1583年だとされています(その頃から、この角柱形状の塔が "The clock tower"(時計塔)と呼ばれるようになったとされています)

また、この時計は"Louis Crot"と呼ばれていますが、この名は1897年に時計が破損して動かなくなった際、動力部の交換を進言、関与した時計技師の名から取られています

「カリオストロの城のモデルはシヨン城」のまとめ

このように、シヨン城を実際に訪問してみると、カリオストロの城を彷彿とさせる点が多数見つかります
  • 湖上の岩盤に建つ城
  • 冠雪した高山と牧草地に囲まれた、標高やや高めのロケーション
  • 城の造りと外観(中世サヴォイア様式の城)
  • 幽閉用の地下牢と、そこに刻まれた壁文字
  • 歴史の古い時計塔と巨大な文字盤
  • 近隣に実在するローマ遺跡
これらの点を鑑みるに、カリオストロの城のモデルは、スイスのシヨン城だと結論づけても、間違いはないでしょう(これだけの共通点を持つ城は、他に実在しないのですから)

次のページでは・・・
  • 「時告ぐる高き山羊」を彷彿とさせる壁の文様や
  • ルパンが跳躍しそうな「急角度の城の屋根」
  • クラリスが横に佇んでいそうな印象的な格子窓
  • クラリスが幽閉されていそうなドーム天井の部屋
 ・・・などを、紹介します

また、3ページ目では、カリオストロ城のモデルの諸説について、ガセか真実かを一つ一つ検証してゆきたいと思います