身近な "パワースポット" (前編)前回と前々回は、沖縄でのアウトドアライフ (というよりは原始生活?) を通して 体験したことや、感じたことについて書きました。 あのような場所を「イヤシロチ」とでも云うのでしょうか 生命の息吹が溢れているところでは シンクロニシティや、「大いなる生命との一体感」のようなものを、感じやすいような気もいたします。 近年では、シャスタ山や、セドナなどのパワースポットと呼ばれる場所も有名になり、そういったところを、一度は訪れてみたいと思われる方も、多いのではないかと思います。 ただやはり、家庭や、生活や、世間の事情など、いろいろあって、なかなかどうして、おいそれと簡単にはいきません。 ちょっと滞在・・・といきたくても、時間もお金も、両方とも余裕がないほうが普通です。 「こんなことろで生活していては、だめだよなぁ」 ・・・と、漠然と感じることも、あったりもするのですが パワースポットに足を踏み入れれば、・・・とたんに運命の輪が回りだして、人生が好転しだす。 ・・・というものでもないように思います。 ・・・・ですが、わたしたちはつねに 「どこか」の場所に、「いる」わけですし 地理的な場所や、環境、職場など、その「場所」から受け取り続ける影響というものは、決して小さくは無いような気がいたします。 実際のところ、どうなのでしょう? どこに居て、どこに在れば、良いのでしょうか 普通の(?)場所に戻ってきて、考えてみたことを、改めてつづってみました。 セドナやシャスタ山など、いわゆる"パワースポット"というのは もちろん、「良きパワーに満ちた場所」 ・・・ということなのでしょうが もしも、「マイナスのエネルギーを持つパワースポット」があるとしたら、どうしましょう? おそらく、誰一人として、そのような場所に、足を踏み入れたいとは思わないでしょう。 そのようなマイナスのエネルギーに満ちた場所が、実際に地球上に存在するかどうかは、わかりませんが 紛争や、圧政に起因する、人間によって人工的に生み出された、「負のパワースポット」というものは 歴史を振り返っても、枚挙に暇(いとま)がないように思えます。
人間から「繋がり」を取り去り、外界からも、生命からも隔絶させてしまう場所・・・。 そう思いを巡らせていて、ふと脳裏によぎったのは、"ミッシャ・マイスキー(Mischa Maisky)" のことでした。 ( 後編に つづく )
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