カリオストロ城のモデルは、サン・レーオでもリヒテンシュタイン城でもない(ではどこか?)

最終更新日: 作者:月寅次郎

カリオストロ城 モデル

ルパン三世カリオストロの城のモデルはどこ?(ページ3)

カリオストロ城のモデルに関して、ネット情報の殆どは「ガセ(嘘)」です
サン・レーオであるとか、リヒテンシュタイン城であるといった説は、完全に間違いです このページを読めば解ります

では、「ルパン三世 カリオストロの城」の城のモデルは、どこなのでしょうか?
それは、スイス・モントルー郊外にある、シヨン城に他なりません
「シヨン城モデル説」を唱えているのは、わたしこと月寅次郎だけのようですが、実際に城を訪れた経験を踏まえ、そう断言します

なお、シヨン城モデル説の根拠については、1ページ目で解説しています 合わせてお読み下さい
実在する地下牢対岸のローマ遺跡湖上に建つ城サヴォイア様式の城の外観、など、現地に赴いて多方面から検証しています

このページの内容は、ガセ情報の検証と解説になります(3ページ目)

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「シヨン城モデル説」に関しては、当ページが元祖ですので、(同様の言及をする場合は)リンクを貼った上で、引用を明確にするなどして下さい
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「カリオストロ城のモデルはシヨン城(仮説)」(3ページ目) 目次
  1. カリオストロ城のモデルは、サン・レーオ…ではない

  2. サン・レーオ説は、なぜ広まってしまったのか

  3. カリオストロ城のモデルは、モン・サン=ミシェル…でもない

  4. 2つに分けられる「リヒテンシュタイン城説」

  5. リヒテンシュタイン城説が生まれた経緯

  6. まとめ - カリオストロ城のモデルは?


カリオストロ城のモデルは、サン・レーオ…ではない

サン・レーオの風景
「Fortress of San Leo(サン・レーオ砦)」 画像はWiki日本版より引用

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サン・レーオは、イタリアにある砦ですが、そもそもの造りが「城」ではなく「要塞」であるため、カリオストロ城とは外観の様式が全く異なります

画像右上の小高い岩山の頂上にあるのがサン・レーオ砦なのですが、見て判る通り、屋根の傾斜が極端に緩く、天守の四方に張り出した尖塔もありません
また、地理的に見ても、周囲には湖も、雪をかぶった高山もありません

カリオストロ城とは、似ている要素が全く見当たらないのです
これをして、カリオストロ城のモデルとするのは、どうかしてるとしか言いようがありません

サン・レーオ説は、なぜ広まってしまったのか?

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サン・レーオ砦には、18世紀終盤にアレッサンドロ・ディ・カリオストロという詐欺師が投獄されていた史実があります
このカリオストロなる人物は、本名ジュゼッペ・バルサーモというのですが、稀代の詐欺師として当時世間を騒がせ、悪い意味で名を馳せてしまったため、この人名を借りてさまざまなフィクションが生まれました

モーリス・ルブラン著「アルセーヌ・ルパン」シリーズの一遍、1924年発表の「カリオストロ伯爵夫人」も、その一つです
映画「ルパン三世 カリオストロの城」のカリオストロ伯爵や、ヒロインであるクラリスの名前は、この作品の登場人物から取られています

つまり、映画に登場した「カリオストロ伯爵」の名前の由来をたどっていくと、最終的にはアレッサンドロ・ディ・カリオストロという実在した詐欺師に行き当たるのです
とはいえこれは、あくまでも人名の由来に他なりません

詐欺師カリオストロは、確かにイタリアのサン・レーオに幽閉されてはいましたが、言ってしまうとただそれだけであり、「サン・レーオ砦」と映画の「カリオストロ城」の間には、何の関連性も無いのです

そもそも、映画「カリオストロの城」においては、カリオストロ伯爵は城主であり、幽閉する側の敵役です
間違っても幽閉される方ではありません

このように、史実も含めて事実を紐解いていくと、サン・レーオ砦がカリオストロ城のモデルではないことは明白で、短絡的な勘違いによって生まれたガセ情報であることが判ります

しかしながら、日本版Wikipediaの「ルパン三世 カリオストロの城」のページ(「補足・その他」の項目)には、カリオストロ城のモデルはサン・レーオであると、堂々と記載されているのです
それだけでなく、サン・レーオのページにも同様の記載が見られます

これらの文章を鵜呑みにする人が後を絶たず、わたしのように明確な否定派もあまり現れなかったことから、結果としてサン・レーオ説が広まってしまったようです
当ページの影響力が大きければ、これらの記載はそのうち削除されるかもしれませんが、2022年の時点では、いまだ修正されていません(上記リンク先を参照)

ちなみに、根拠となる出典のソースリンクを辿ってみても、該当ページが削除されており、確認することができません
ソースページのタイトルは「死ぬまでに行きたい世界の名城」となっており、旅行会社がツアー企画の宣伝にでも使いそうなコンテンツとなっています

少なくとも、アニメ雑誌による「監督インタビュー」や、「製作こぼれ話」からのソースではありません。まったくもって信憑性に乏しいものがあります

他のサン・レーオ説を唱えているネット上のページも、根拠を明らかにしておらず、ウィキページをそのまま鵜呑みにして書いているようです
「嘘を嘘と見抜けないようでは(インターネットを使うのは)難しい」というのは、蓋し名言ですが、見抜けなかった方が多いようで悲しくもあります

カリオストロ城のモデルは、モン・サン=ミシェル…でもない

L'Abbaye du Mont-Saint-Michel, vue du ciel.JPG
Mont Saint-Michel 画像はWikiより引用

ルパン三世
カリオストロの城
スタジオジブリ
絵コンテ全集第II期

モン・サン・ミシェルはフランスの修道院で、世界遺産にも登録されており、世界的に有名です

干潟の岩山の上に建物が存在するため、外観イメージからカリオストロ城を連想させるものがあり、「見た目が似ているから」という理由で、カリオストロ城のモデルとして推挙するページが多いようです

しかしながら、似ている点はそれだけしかありません
逆によく見てみると、似つかない点も数多くあることが判ります

まず、カリオストロ城は「海上の城」ではなく、「湖上の城」であるということ
さらに、モン・サン・ミッシェルはドーバー海峡の南方、フランス国土の大西洋上に位置するため、映画に見られるような、ドイツやイタリア文化の影響も乏しいものがあります
東ゴート帝国の勢力圏外でもあり、地理的にも考えにくいです

また、海抜0メートルに位置するため標高が低く、映画のような牧草地のある高山地域とは、まったく趣が異なります

建物様式から見ても、ゴシック調のモン・サンミシェルはカリオストロ城との共通点が薄く、修道院であるがゆえに、中世西洋城に必須の「張り出し櫓」や、クロスボウ用の「十字射眼」、「出し狭間」などの戦闘・防御構造が無く、建築物としては全くタイプが異なることが判ります

そもそもモン・サン=ミシェルは城ではないのですから、無理もありません
これをしてカリオストロ城のモデルと主張するのは、稚拙と言うより他ありません

2つに分けられる「リヒテンシュタイン城説」

リヒテンシュタイン(城)説は、主に2つに分けられます

1.リヒテンシュタイン公国の城主の城である、ファドゥーツ城だというものと、
2.ドイツのリヒテンシュタイン城であるという説です

まずは、それぞれの城の外観から確認してみましょう
リヒテンシュタイン公国にある、ファドゥーツ城がこちらです

Liechtenstein Schloss Vaduz.jpg
Vaduz Castle: the landmark of Vaduz, the capital of Liechtenstein 画像はWikipediaより引用

外観を見る限り、カリオストロ城とは似ても似つきません
「カリオストロ城のモデルはファドゥーツ城」を信じて現地に行かれた方は、さぞがっかりされたことでしょう

次に、ドイツにあるリヒテンシュタイン城を見てみましょう

Schloss Lichtenstein 04-2010.jpg
Lichtenstein Castle in Baden-Wurttemberg, Germany 画像は英語版Wikiより引用

こちらは崖の上の見晴らしの良い場所に建ってはいますが、「湖上の城」というわけでもなく、城の様式もゴシック調が感じられます

同じ城でも、防衛型城塞というよりは、貴族の居住用という要素の強い建築物です

観光に訪れるには良いかもしれませんが、これをもってカリオストロ城のモデルとするのは、いろいろと無理があることが判ります

地理的なロケーション、城としての建築様式、歴史的な背景など、様々な観点から調べてみても、これら2つの城からは、どこにもカリオストロ城に似た要素を見つけることができません
何を持ってモデルの根拠としているのか、こちらが逆に尋ねたいくらいです

リヒテンシュタイン城説が生まれた経緯

ルパン三世
死の翼アルバトロス
さらば愛しきルパンよ
スタジオジブリ
絵コンテ全集第2期

なぜこのようなガセ情報が生まれてしまったのか、改めて解説してみましょう

映画では、「カリオストロ公国は人口3500、世界最小の国連加盟国」というルパンのセリフがあり、そこから似たようなヨーロッパの小国である「リヒテンシュタイン公国」が連想・想起され、「カリオストロ公国のモデルは、リヒテンシュタイン公国」とする説が生まれました

この段階では、「公国のモデルは、どこ?」という、国の推測であったはずなのですが、話を読み飛ばして「カリオストロ城のモデルは、リヒテンシュタインの城」と早合点する人が続出し、結果として、リヒテンシュタイン公国に存在する「ファドゥーツ城」をそれだと解釈する人が現れました
ファドゥーツ城は、リヒテンシュタイン家のファドゥーツ伯爵の居城であり、リヒテンシュタイン公国で有名な城の筆頭に挙げられます

ここでさらに話をややこしくしたのが、別の場所(ドイツ)に「リヒテンシュタイン城」なるお城が存在したということです

整理しますと…
1.「カリオストロ公国のモデルは、リヒテンシュタイン公国」 という国の話が、どこかで…
2.「カリオストロ城のモデルは、リヒテンシュタイン公国の城」 と、城の話になり変わり、さらに…
3.「カリオストロ城のモデルは、『リヒテンシュタイン城』」 と、なってしまいました

リヒテンシュタイン公国にある城」と、「リヒテンシュタイン城」では、全く別の建築物を指すことになるのですが、これを混同した人がいたため、2通りの解釈が生まれてしまったのです

つまるところ、勘違いと早合点によって、伝言ゲームさながらに文意が変わり、2つのガセ情報が生まれてしまいました

このように「ファドゥーツ城説」も「リヒテンシュタイン城説」も、どちらも根拠のない勘違いによるものです
城のロケーションや様式、文化的背景など、カリオストロ城との共通点を見つける方が難しいくらいです

ちなみにリヒテンシュタイン公国の人口は、約38000人であり、世界でも指折りの小国となっています
さらには、モナコの人口は約39000、パラオが18000人、ツバルは11600人、バチカンが800人となっており、現実にカリオストロ公国が存在するとすれば、バチカンの次に人口の少ない「世界で2番目に人口の少ない国」になります

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まとめ - カリオストロ城のモデルはどこ?

大塚康生画集
「ルパン三世」
と車と
機関車と

改めて整理してみましょう

カリオストロ城のモデルについて、4つの説を検証して参りましたが、どれも信憑性に乏しいものでした

イタリアのサン・レーオ砦、フランスのモン・サン・ミシェル、リヒテンシュタイン公国のファドゥーツ城、ドイツのリヒテンシュタイン城、どれも根拠に乏しいガセ情報(もしくは単なる勘違い)と言わざるを得ません

外観や地理的なロケーション、文化的歴史的背景などを鑑みるに、スイスのシヨン城が、カリオストロ城のモデルに最も近いと言えるでしょう

カリオストロ城のモデルはシヨン城であるという根拠は、1ページ目で説明しましたので、当ページからアクセスされた方は、1ページ目にお目通し頂ければと思います(地下牢やローマ遺跡についても言及しています)

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