ルパン三世カリオストロの城のモデルはどこ?(ページ3)
カリオストロ城のモデルに関して、ネット情報の殆どは「ガセ(嘘)」です
サン・レーオであるとか、リヒテンシュタイン城であるといった説は、完全に間違いです
このページを読めば解ります
では、「
ルパン三世 カリオストロの城」の
城のモデルは、どこなのでしょうか?
それは、
スイス・モントルー郊外にある、シヨン城に他なりません
「シヨン城モデル説」を唱えているのは、わたしこと月寅次郎だけのようですが、実際に城を訪れた経験を踏まえ、そう断言します
なお、シヨン城モデル説の根拠については、
1ページ目で解説しています
合わせてお読み下さい
実在する地下牢、
対岸のローマ遺跡、
湖上に建つ城、
サヴォイア様式の城の外観、など、現地に赴いて多方面から検証しています
このページの内容は、ガセ情報の検証と解説になります(3ページ目)
警告しておきます:YouTuberの皆さん、当サイトのコンテンツを換骨脱胎し、あたかも自分の知見のように語るのは止めてください
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「シヨン城モデル説」に関しては、当ページが元祖ですので、(同様の言及をする場合は)リンクを貼った上で、引用を明確にするなどして下さい
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「カリオストロ城のモデルはシヨン城(仮説)」(3ページ目) 目次
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カリオストロ城のモデルは、サン・レーオ…ではない
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サン・レーオ説は、なぜ広まってしまったのか
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カリオストロ城のモデルは、モン・サン=ミシェル…でもない
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2つに分けられる「リヒテンシュタイン城説」
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リヒテンシュタイン城説が生まれた経緯
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まとめ - カリオストロ城のモデルは?
カリオストロ城のモデルは、サン・レーオ…ではない
「Fortress of San Leo(サン・レーオ砦)」 画像はWiki日本版より引用
ルパン三世
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サン・レーオは、イタリアにある砦ですが、そもそもの造りが「城」ではなく「要塞」であるため、カリオストロ城とは外観の様式が全く異なります
画像右上の小高い岩山の頂上にあるのがサン・レーオ砦なのですが、見て判る通り、屋根の傾斜が極端に緩く、天守の四方に張り出した尖塔もありません
また、地理的に見ても、周囲には湖も、雪をかぶった高山もありません
カリオストロ城とは、似ている要素が全く見当たらないのです
これをして、カリオストロ城のモデルとするのは、どうかしてるとしか言いようがありません
サン・レーオ説は、なぜ広まってしまったのか?
ルパン三世 PART1
絵コンテ集
TV 1st series
秘蔵資料コレクション
ルパン三世
ルパンVS複製人間
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サン・レーオ砦には、18世紀終盤に
アレッサンドロ・ディ・カリオストロという詐欺師が投獄されていた史実があります
この
カリオストロなる人物は、本名ジュゼッペ・バルサーモというのですが、
稀代の詐欺師として当時世間を騒がせ、悪い意味で名を馳せてしまったため、この人名を借りてさまざまなフィクションが生まれました
モーリス・ルブラン著「
アルセーヌ・ルパン」シリーズの一遍、1924年発表の「
カリオストロ伯爵夫人」も、その一つです
映画「ルパン三世 カリオストロの城」のカリオストロ伯爵や、ヒロインであるクラリスの名前は、この作品の登場人物から取られています
つまり、映画に登場した
「カリオストロ伯爵」の名前の由来をたどっていくと、最終的にはアレッサンドロ・ディ・カリオストロという実在した詐欺師に行き当たるのです
とはいえこれは、
あくまでも人名の由来に他なりません
詐欺師カリオストロは、確かにイタリアのサン・レーオに幽閉されてはいましたが、言ってしまうとただそれだけであり、
「サン・レーオ砦」と映画の「カリオストロ城」の間には、何の関連性も無いのです
そもそも、映画「カリオストロの城」においては、カリオストロ伯爵は城主であり、幽閉する側の敵役です
間違っても幽閉される方ではありません
このように、史実も含めて事実を紐解いていくと、サン・レーオ砦がカリオストロ城のモデルではないことは明白で、
短絡的な勘違いによって生まれたガセ情報であることが判ります
しかしながら、日本版Wikipediaの
「ルパン三世 カリオストロの城」のページ(「補足・その他」の項目)には、
カリオストロ城のモデルはサン・レーオである
と、堂々と記載されているのです
それだけでなく、
サン・レーオのページにも同様の記載が見られます
これらの文章を鵜呑みにする人が後を絶たず、わたしのように明確な否定派もあまり現れなかったことから、結果としてサン・レーオ説が広まってしまったようです
当ページの影響力が大きければ、これらの記載はそのうち削除されるかもしれませんが、2022年の時点では、いまだ修正されていません(上記リンク先を参照)
ちなみに、根拠となる出典のソースリンクを辿ってみても、該当ページが削除されており、確認することができません
ソースページのタイトルは「死ぬまでに行きたい世界の名城」となっており、旅行会社がツアー企画の宣伝にでも使いそうなコンテンツとなっています
少なくとも、アニメ雑誌による「監督インタビュー」や、「製作こぼれ話」からのソースではありません。まったくもって信憑性に乏しいものがあります
他のサン・レーオ説を唱えているネット上のページも、根拠を明らかにしておらず、ウィキページをそのまま鵜呑みにして書いているようです
「嘘を嘘と見抜けないようでは(インターネットを使うのは)難しい」というのは、蓋し名言ですが、見抜けなかった方が多いようで悲しくもあります
カリオストロ城のモデルは、モン・サン=ミシェル…でもない
Mont Saint-Michel 画像はWikiより引用
ルパン三世
カリオストロの城
スタジオジブリ
絵コンテ全集第II期
モン・サン・ミシェルはフランスの修道院で、世界遺産にも登録されており、世界的に有名です
干潟の岩山の上に建物が存在するため、外観イメージからカリオストロ城を連想させるものがあり、「見た目が似ているから」という理由で、カリオストロ城のモデルとして推挙するページが多いようです
しかしながら、
似ている点はそれだけしかありません
逆によく見てみると、似つかない点も数多くあることが判ります
まず、カリオストロ城は「海上の城」ではなく、「湖上の城」であるということ
さらに、モン・サン・ミッシェルはドーバー海峡の南方、フランス国土の大西洋上に位置するため、映画に見られるような、ドイツやイタリア文化の影響も乏しいものがあります
東ゴート帝国の勢力圏外でもあり、地理的にも考えにくいです
また、
海抜0メートルに位置するため標高が低く、映画のような牧草地のある高山地域とは、まったく趣が異なります
建物様式から見ても、ゴシック調のモン・サンミシェルはカリオストロ城との共通点が薄く、修道院であるがゆえに、中世西洋城に必須の「
張り出し櫓」や、クロスボウ用の「
十字射眼」、「
出し狭間」などの戦闘・防御構造が無く、
建築物としては全くタイプが異なることが判ります
そもそもモン・サン=ミシェルは城ではないのですから、無理もありません
これをして
カリオストロ城のモデルと主張するのは、稚拙と言うより他ありません
2つに分けられる「リヒテンシュタイン城説」
リヒテンシュタイン(城)説は、主に2つに分けられます
1.リヒテンシュタイン公国の城主の城である、
ファドゥーツ城だというものと、
2.ドイツの
リヒテンシュタイン城であるという説です
まずは、それぞれの城の外観から確認してみましょう
リヒテンシュタイン公国にある、ファドゥーツ城がこちらです
Vaduz Castle: the landmark of Vaduz, the capital of Liechtenstein 画像はWikipediaより引用
外観を見る限り、
カリオストロ城とは似ても似つきません
「カリオストロ城のモデルはファドゥーツ城」を信じて現地に行かれた方は、さぞがっかりされたことでしょう
次に、
ドイツにあるリヒテンシュタイン城を見てみましょう
Lichtenstein Castle in Baden-Wurttemberg, Germany 画像は英語版Wikiより引用
こちらは崖の上の見晴らしの良い場所に建ってはいますが、「湖上の城」というわけでもなく、城の様式もゴシック調が感じられます
同じ城でも、防衛型城塞というよりは、貴族の居住用という要素の強い建築物です
観光に訪れるには良いかもしれませんが、
これをもってカリオストロ城のモデルとするのは、いろいろと無理があることが判ります
地理的なロケーション、城としての建築様式、歴史的な背景など、様々な観点から調べてみても、これら2つの城からは、どこにもカリオストロ城に似た要素を見つけることができません
何を持ってモデルの根拠としているのか、こちらが逆に尋ねたいくらいです
リヒテンシュタイン城説が生まれた経緯
ルパン三世
死の翼アルバトロス
さらば愛しきルパンよ
スタジオジブリ
絵コンテ全集第2期
なぜこのようなガセ情報が生まれてしまったのか、改めて解説してみましょう
映画では、「
カリオストロ公国は人口3500、世界最小の国連加盟国」というルパンのセリフがあり、そこから似たようなヨーロッパの小国である「
リヒテンシュタイン公国」が連想・想起され、「
カリオストロ公国のモデルは、リヒテンシュタイン公国」とする説が生まれました
この段階では、
「公国のモデルは、どこ?」という、国の推測であったはずなのですが、話を読み飛ばして「カリオストロ城のモデルは、リヒテンシュタインの城」と早合点する人が続出し、結果として、リヒテンシュタイン公国に存在する「ファドゥーツ城」をそれだと解釈する人が現れました
ファドゥーツ城は、リヒテンシュタイン家のファドゥーツ伯爵の居城であり、リヒテンシュタイン公国で有名な城の筆頭に挙げられます
ここでさらに話をややこしくしたのが、別の場所(ドイツ)に「リヒテンシュタイン城」なるお城が存在したということです
整理しますと…
1.「
カリオストロ公国のモデルは、リヒテンシュタイン公国」 という国の話が、どこかで…
2.「
カリオストロ城のモデルは、リヒテンシュタイン公国の城」 と、城の話になり変わり、さらに…
3.「
カリオストロ城のモデルは、『リヒテンシュタイン城』」 と、なってしまいました
「
リヒテンシュタイン公国にある城」と、「
リヒテンシュタイン城」では、
全く別の建築物を指すことになるのですが、これを混同した人がいたため、2通りの解釈が生まれてしまったのです
つまるところ、
勘違いと早合点によって、伝言ゲームさながらに文意が変わり、2つのガセ情報が生まれてしまいました
このように
「ファドゥーツ城説」も「リヒテンシュタイン城説」も、どちらも根拠のない勘違いによるものです
城のロケーションや様式、文化的背景など、カリオストロ城との共通点を見つける方が難しいくらいです
ちなみにリヒテンシュタイン公国の人口は、約38000人であり、世界でも指折りの小国となっています
さらには、モナコの人口は約39000、パラオが18000人、ツバルは11600人、バチカンが800人となっており、現実にカリオストロ公国が存在するとすれば、バチカンの次に人口の少ない「世界で2番目に人口の少ない国」になります
まとめ - カリオストロ城のモデルはどこ?
大塚康生画集
「ルパン三世」
と車と
機関車と
改めて整理してみましょう
カリオストロ城のモデルについて、4つの説を検証して参りましたが、どれも信憑性に乏しいものでした
イタリアの
サン・レーオ砦、フランスの
モン・サン・ミシェル、リヒテンシュタイン公国の
ファドゥーツ城、ドイツの
リヒテンシュタイン城、どれも根拠に乏しいガセ情報(もしくは単なる勘違い)と言わざるを得ません
外観や地理的なロケーション、文化的歴史的背景などを鑑みるに、
スイスのシヨン城が、カリオストロ城のモデルに最も近いと言えるでしょう
カリオストロ城のモデルはシヨン城であるという根拠は、1ページ目で説明しましたので、当ページからアクセスされた方は、1ページ目にお目通し頂ければと思います(地下牢やローマ遺跡についても言及しています)
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